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Talk to Oneself 21( No.201-210 )
07年12月10日〜08年3月1日
Talk to Oneself 21 目次
3月1日 イージス艦と漁船の衝突事故 2月21日 2,008年は値上げの年?、次世代DVDの規格争い
2月10日 冷凍餃子の農薬混入問題 2月 1日 文化を受継ぎ作ると言う事
1月25日 小田和正・さだまさし 「たとえば」 1月20日 再生紙の古紙配合比率偽装問題
08年1月10日 日の丸掲揚が珍しく感じました 08年1月1日 平成20年、本当に平和ですか・・・
12月20日 今年の漢字 12月10日 地球温暖化への危機感は?北京旅行

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2008年3月1日(土曜日):イージス艦と漁船の衝突事故
  戦前の軍人は、良い悪いは別として「武士・さむらい」の精神を持つていたと思います。少なくてもサラリーマンの延長ではなく、国を守るのは自分達だという、使命感と気骨を持っていたと思います。

 最新鋭のイージス艦と漁船の衝突事故に対する、防衛省の背広・制服組み両者の説明は、真実を誠実に説明しようと言う姿勢が見られず、責任を逃れる為には、どううまく説明したら良いかと言う、姑息なそして保身に満ちた説明が繰り返されている様に思えてなりません。

 これまでの幾つかの不祥事に対する、当事者の記者会見は、まさに上に書いた事の繰り返しだった様に思います。国民の前で記者会見すると言う事は、どの様な状況であっても、発した言葉に責任を持つと言うことだと思うのですが、最近の言葉には、全く「言葉の重み」と言うものが感じられません。
 今は、死言になってしまったかもしれませんが、せめて防衛省の幹部くらいは、「武士に二言は無い」という言葉を思い出し、軍人らしくあって欲しいものです。
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2008年2月21日(木曜日):2,008年は値上げの年?、次世代DVDの規格争い
  この所、石油、穀物や飼料、鉄鉱石などが過去に例を見ない勢いで値上がりしています。その上、安価が売りものの中国産の食品などにも安全性の問題で、輸入が難しくなってくると、ますます物価が上昇する要因になりますね。
 これら全ての物作りに係わっている原材料が値上がりすると言うことは、2,008年は、間違いなく全ての物価が、大幅に上昇するのではないでしょうか?
 これまで、何とかデフレの脱却をと言われていましたが、これからは、収入は増えないのに、物価が上がる厳しい時代になるかもしれません。

次世代DVDの規格争いが、ソニーグループを中心とするブルーレイ(BD)デスク側の勝利となった。東芝は、やむなく撤退となったが、これまでにHD−DVD製品を購入した人は、大変な迷惑と損害を受けた事になりますね。
 確かに、ハイビジョンの録画時間が、1枚のデスクで2時間というのは、テレビや映画の時間を考えれば、必要かも知れませんね。(HD−DVDは、75分)  しかし、今の所BD方式では、これまでのDVDデスクが読めないと聞いているのですが、この辺の対応がどうなるのか、早く知りたいと思います。
 また、レコードが音楽CDになり、ビデオテープがDVDデスクにとって変わられましたが、今回は、この辺の関係は、一体どの様になって行くのでしょうか?
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2008年2月10日(日曜日):冷凍餃子の農薬混入問題
  中国製冷凍餃子の農薬混入問題で、食の安全が一段と関心を持たれる様になった。
私は、この中毒事件を聞いて最初に思った事は、この事件は、個人の犯罪によるものでは無いかと言う事でした。それは、単に食材の汚染が原因である中毒事故であったならば、この程度の中毒患者発生では済まないと、即座に思ったからです。もしも、この中毒事件が個人の怨恨の様なものが原因であるならば、未然に防止する事は、なかなか難しい事ではないでしょうか?
 職場の雇用・労働条件や賃金などの不満から、嫌がらせの為の食品テロという考えも出てきているようですが、テロの根源をなす「おおもと」は、やはり国家や民族や宗教に対する、個人の積もり積もった恨みによるものではないでしょうか?

 また、マスコミの報道で、「毒入餃子」と言うような表現が使われていますが、私は、何かこの表現には、違和感を感じ、違うのではないかと感じています。この「毒入餃子」と言う表現は、まだ原因が判らないのに、何か毒々しくこの表現の中に、それこそ悪意を感じてしまいます。

 我家でも生協の餃子を食べていますが、くじ運が弱いのが幸いしたか、中毒になるような事も無く、代金を返却するという「葉書」が来ていました。
 40個/400円弱=10円/個という価格を、もう一度よく考えて見る必要があるかも知れませんね。
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2008年2月1日(金曜日):文化を受継ぎ作ると言う事
  毎年毎年、正月らしさと言うような、日本らしさが無くなっていく事を思っている時、テレビでアマゾンの原住民に「生きている事は何ですか?」と訊ねた答えが、「風習や文化を子孫に伝えていくことだ」と言う様な答えであった。
 この答えからいくと、今の日本は、これまでの文化を、どんどん切り捨てていってる訳だから「生きている価値がない」ことになるのでしょうか?
いや、そうではなくて、今の時代にあった新しい文化を生み出しているのだと言う考え方もあるかも知れません。だとするならば、今の携帯なども文化になるのでしょうか?

 確かに、パソコンや携帯は使えば便利でしょうが、これらが今の形になって10年にも満たない訳ですから、とても文化なんて言える代物では無いと思いますし、世界中何処に言っても同じと言う様な、むしろ文化というものを殺してしまう凶器みたいなものではないでしょうか。

 今の時代に作られた物で、後世に世界遺産と言われる様な文化的価値のある形で残るものがはたしてあるのでしょうか?
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2008年1月25日(金曜日):小田和正・さだまさし 「たとえば」
  昨年12月24日に、「小田 和正」クリスマスコンサートがテレビで放送された。
このコンサートのなかで、「さだ まさし」とジョイントで新しく作られた「たとえば」と言う曲が披露された。 私は、「さだ まさし」のファンだから思うのかもしれませんが、
 詩とメロデーが素晴らしかったので、自分で録音して聞いていたが、たまたま nifty のサイトで、この動画が公開されていたので、この欄で紹介する事にした。

小田和正・さだまさし 「たとえば」
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2008年1月20日(日曜日):再生紙の古紙配合比率偽装問題
  再生紙の古紙配合比率偽装問題は、これまでの食品偽装などと較べて、より悪質で深刻な問題ではないでしょうか。
 何故ならば、紙というものは、大人から赤ちゃんまで、日本人全ての人が毎日何らかの形で頻繁に使用するものだからです。
 その品質表示が長年偽装されて表示されていたとなると、配合割合・品質維持云々の問題でなく、偽装をし続けたと言うメーカーの姿勢が、大きな問題なのです。
 製紙メーカーは、むしろ品質の良い物を供給していたのだから、良いではないかと言う意識が強いようですが、私達は、あ・・、この製品も再生紙を使用しているのだと言う表示を見て、少しは緑の保全に役に立っているかと、何か安心感を感じたりしていました。

 私達は、再生紙に対して、決して新品と同じ品質を求めているのではなく、多少黒くても、腰がなくても、破れ易くても、しょうがないかなと受け入れて使用していると思います。
 また一方では、本来なら再生紙100%でも構わないトイレットペーパーに、バージンパルプ100%の商品を売りに販売している企業もあるのですから、大きな矛盾を感じてしまいます。
ですから、古紙配合比率偽装問題は、これらの企業の存立に係わると言って良いほど、大きな問題である事を、企業は認識すべきです。

 一体、これまで規格どうりの再生紙が生産され、使われてきたならば、その原料となる「緑・立ち木」が、どの程度使わずに済んだか、政府はメーカーに公表させ、厳しく罰するべきではないでしょうか。

 ところで、紙の問題とは別ですが、切っても切り離せない印刷インキで、よくこの印刷に大豆インキ(soy ink) が使われていると書いてありますが、はたして本当に規格どうりの大豆油が配合されているのでしょうか?印刷品質を考えたら、こちらもほんの僅かしか配合されていないのかも知れないと疑ってしまいます。
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2008年1月10日(木曜日):日の丸掲揚が珍しく感じました
  毎年毎年正月らしさ少なくなりますと書きますが、今年は、私があまり外に出ないせいかもしれませんが、例年にも増して正月気分がなかった様に思います。
元日から、近所のお店は営業しているし、何となく元日の朝という、しっとりとした雰囲気が感じられませんでした。
それでも、近所を散歩していて、家庭の玄関に日の丸が掲げてあるのを見て、元日の旗日(この言葉も使いませんね)なのだと思う前に、何か珍しい物を見るような気分になりました。

 ところで、街を歩いていて、女性のパンツルックが多くなりましたね。都心のOLさん達はどうか判りませんが、電車に乗っても、スカートを穿いている女性は、数えるほどしか見かけなくなりました。それだけ、女性が活動的になったのでしょうね。
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2008年1月1日(火曜日):平成20年、本当に平和ですか・・・
  明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

 今年は、平成20年、早いもので平成に生まれた子供が成人を迎えます。私のこの欄も、今回が203回目、4月には6年目に入りますが、最近は書く事は沢山あるのでしょうが、書こうと思っている事を忘れたり、中々文章として纏まら無い事が多くなりました。

 平成と名づけた元号の意味は、内平らかに外成る(史記)、地平らかに天成る(書経)の中国の古典からとったもので、「内外、天地とも平和が達成される」という意味なんだそうですが、はたしてこの平成の20年間は、どう言う評価になるのでしょうか?

 私は、海外のことは判りませんが、自身の人生の中の、この20年間を振り返れば、こんなに急速に情報技術(IT)が進んで、だれもが携帯を持ち歩き、次々に目新しいエレクトロニクス製品が売り出され、カメラなどは、まだまだフイルムカメラだと思っていたのが、完全にデジカメにとって代わられてしまいました。
そして特筆すべきは、これらの製品を作り出す生産技術の進んだ事ではないでしょうか。

 ところで内外共に平和かと言えば、昨年1月に始まった不二家の消費期限切れ原材料の使用に始まった食品に対する偽りは、この食品を食べて消費者がどうこうと言う事で無く、見えないところにも気配りすると言う良き日本のモラルの欠如、バレなければそれで良しとする金儲け主義、拝金主義の蔓延が、由々しき事なのではないでしょうか。

 生活する上であまり必要としない物の売買いで経済が成り立っている様な、物の有り余まっている日本は、確かに争いが無いと言う意味では、平和と言えるかもしれませんが、決して「内平らか」な本当の平和ではなく、「偽」の上に成り立っている偽平和ではないでしょうか。

 つい先日、NHKテレビの再放送で、戦争で生き残った人が、自分の住んでいる川の土手を、亡くなった戦友の供養のために、100万本の彼岸花(実際は200万本になったそうです)で埋め尽くす活動を放送していました。

 その人が作った短歌に心を打たれましたので紹介します。
 「彼岸花なぜに悲願花 幾年を念じてくれば これ悲願花」
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2007年12月20日(木曜日):今年の漢字
  今年の漢字として、財団法人日本漢字能力検定協会が、毎年12月12日の「漢字の日」に、清水寺で発表しているが、その漢字は何と「偽」だそうです。
また 2番目が「食」、3番目が「嘘」だったそうです。
清水寺の貫主さんも、この様な漢字が選ばれた事に対して、「情けない」と言っていましたが、全く情けない話です。
 あたかも、「宙に浮いた年金記録」の照合作業が、5000万件のうち、その4割の照合が難しいことがこの時期に発表されたが、政府がこの事が発覚した時点で、来年3月までに完全照合を約束したはずなのにの、各閣僚の言い訳の「言い草」の空々しさは、まさにこの「偽、嘘」そのものだと思います。

 私達だって、まともに来年3月までに完全照合が終ると思っていない人が多いのではないかと思いますが、むしろ、もっと正直に、見通しが甘かった、「ごめんなさい」と謝ってもらった方が、余程すっきりします。
 白を黒に言いくるめる事が、通ってしまったら、ますます「偽、嘘」が、幅を利かす事になってしまいます

過去の今年の漢字一覧
2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007
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2007年12月10日(月曜日):地球温暖化への危機感は?北京旅行
  12月になって、各地で大型のクリスマス・年末恒例のイルミネーションが始まっています。また家庭でも、庭の植木に電飾をすることが流行っていますが、今騒がれている地球温暖化対策についてどう考えているのでしょうか?あるいは、電飾を巻かれた立ち木や植木にとっては、何時までも夜が明るく、いい迷惑なのではないでしょうか?
 1973年や1979年の石油ショックの時、私達一人一人がまず車の運転を控えたり、照明を落としたり、数を減らしたり、営業時間を短くしたりして、国も個人も一つになって頑張りました。
 今 この地球温暖化の問題は、本質的な問題は全く別のものですが、本当は石油ショックなんかよりも、ずっとずっと深刻な問題のはずですが、自分のこととして深刻に受け止められないが為に、石油ショックの様な国民全体の危機意識がなく、対策が、国や一部の企業まかせになっている様に思います。

ベストシーズンから少し外れるが、パック料金が安かったので、オリンピック前の北京に行って来た。北京の町の印象は、観光バスで垣間見た限りでは建設工事ラッシュで、近代的なビルも沢山建っているが、何か雑然としていて好きになれそうもない印象でした。
 10年前は、天安門広場などの自転車のラッシュが有名な様でしたが、今は道路も広く、高速道路も随分整備されているように思えたのですが、毎日自動車の大渋滞があるそうです。
 インターネットで寒さは覚悟して行きましたが、思いのほか寒くなくその点は良かったのですが、低料金の為、美味しい中国料理を味わう事は、残念ながら出来ませんでした。

 中国の世界遺産の建造物は、何もかもスケールが大きく驚きですが、時の権力者と言うのは、ヨーロッパもそうでしたが、どうしてこうまで権力を誇示し、贅を尽くしたくなるものなのでしょうか。
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