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Talk to Oneself 1( No.1-10 )
02.4.21〜02.7.10
Talk to Oneself 1 目次
7月10日 祭りのこと、ナナのこと 7月 1日 クラシックカメラ、足踏み式ミシン、
6月20日 佐倉市・市民大学、
山椒の実の佃煮作りました(レシピ)
6月10日 情報の裏側、「世論」について、風刺
6月 1日 ユーカリ近隣の農家・行事、
山椒の実の佃煮
5月20日 再び Bio/IT について、
サラリーマン人生、瀋陽事件
5月10日 ユーカリ近隣の
「にせアカシア」、「ユリノキの花」
5月 1日 犬の予防注射、狂牛病について
4月25日 季節の移ろい、三春 「滝桜 」、
会津「鶴が城の桜」
4月21日 「安楽死」、Bio/IT 革命について
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7月10日(水曜日):祭りのこと、ナナのこと 
  サンデー毎日の身になって3ヶ月がたつ。時間に制約されないのが、気分的にこんなに楽とは思わなかった。今のところ、Web作成、畑、市民大学と退屈することもなく過ごしている。
 7月1−3日とWife の両親と奥塩原温泉に行った。会津田島の駒止湿原に行き、撮影した野草を掲載した。


7月7日(日曜日)、成田山・祇園祭を見に行った。 本祭は、成田山・新勝寺のご本尊「不動明王」の本地仏である奥の院「大日如来」の祭礼だそうです。歴史は、300年あるそうですが、10台引き回される屋台・山車は、昭和に造られたものもおおく、割と新しいものである。(画像はこちらから)
 佐倉に住んで25年位になるが、初めて見に行った。佐倉にも、麻賀多神社の祭礼があり、やはり屋台・山車がでるが、佐倉の祭りの方が、掛け声、動作など素朴で祭りらしく思えた。
 私は、仕事で岩手県に住んだことがあるが、その際、東北の祭りを幾つか見に行った。
有名な、青森「ねぶた祭り」、弘前「ねぷた祭り」、秋田「竿燈」、盛岡「さんさおどり」、花巻「花巻祭り」花輪「花輪祭り・花輪ばやし」どれをとっても、日本全国から見物に訪れる祭りである。
祭りに参加しなくても、太鼓の腹に染みるような響き、笛・鐘の音色、独特の掛け声そして屋台・山車などを引き回す人たちの圧倒的なエネルギーがジィーーンと染みてきます。
以前より、行きたいと思っている祭りがふたつある。一つは、越中八尾の「風の盆」であり、もう一つは、郡上八幡の「郡上おどり」である。今年は、何とか一つは行きたいと思っている。


ナナが我が家にきて一年になる。今、2回目の生理の最中であり、家の中が臭い。子供3人を育てていままで、襖、ドアーなどきれいであったが、ナナがきてグチャグチャにされた。何だか子供より、寛大になっているような気がする。


飛び方も止まりもあやし巣だちひな 息弾ませて樋にて休む
   ピィー!ピィー!と鋭き叫びヒヨドリの巣守る雄はアンテナの上

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アイコン 7月 1日(月曜日):クラシックカメラ、足踏み式ミシン
  熱い1ッ月でしたが、サッカーもブラジルの優勝で終わりました。
前評判はいまいちと言うことでしたが、やはりロナウドは凄い、あのカーンがら2得点、結局ブッチギリの得点王です。


メカニカルカメラ(クラシックカメラ)
私は、現在 東京オリンピックの年(1964年)に買った Nikon F(F シリーズの初代目)と、中学の修学旅行( 1956年)に買ってもらった RICOHFLEX MODEL VII 、およびジャバラ式の OLYMPUS S I X を持っている。
Nikon F は、当時の給料の数ヶ月分の価格であったと記憶している。
別に、クラシックカメラのマニアではないが、実に 38年前と46年前のカメラであり、OLYMPUS は更に古いカメラである。(画像を見たい人は、こちら)
リコーフレックスの方は、2眼レフで6×6フィルムを使用するので使ったことはないが、ニコン F は、まだまだ現役で撮影できる。それだけ、銀塩カメラシステムが他に変わるべきもない完成されたシステムであり、ほかに類をみない技術であると言うことである。
それでも最近は、デジカメの方が売れているが、残念ながら画質は、プリンターの能力にもよるが、いまいちである。
そこで思う事は、現在の電子式の銀塩カメラ あるいはデジカメが、これから半世紀後に周辺機器などの変化により、使用に耐えうるかと考えた時、メーカーが過去の技術と周辺機器を保存しない限り恐らく不可であろう。
この事を思うと、Simple is the Best, 以前から書いているように「進歩は退歩」ではないでしょうか。


足踏み式ミシン
私の実家の母は、田舎で50年以上も前に洋裁を教えていた。また 夜なべをして他の人の洋服を縫ってあげていたのを覚えている。この時に使用していた足踏み式ミシンが現在も4台程残っている。今は、モーターを使用し、デザインも洗練されているが、着る物が安価に手に入る時代では、恐らく自分でミシンを使って洋服を縫う人はいないであろう。(画像を見たい人は、こちら)
ミシンは、カメラのフィルムやDPEのように、システムがそろっていなければ使えないものでなく、器械さえ動けばいつでも使用できるものであるが、もう必要ない器械になってしまった。これもクラシカルマシンの運命ではあるが、あのガチャガチャという音が、懐かしいと思う者である。


デジカメが流行りとはいえ味気なし 古きカメラの重き感触 
   ミシンなど知らない世代子を持ちて 夜なべの母は映画の世界

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6月20日(木曜日):佐倉市・市民大学受講、山椒の実の佃煮作りました
  トルコ戦 日本は押していたと思うのですが、残念ながら1対0で敗れてしまいました。
サントスのフリーキックも、本当におしかったです。90分 ア−−というまでした。
 それにしても、韓国は粘り強く戦ってイタリアに勝ちましたね! 国民性が良くででいるのですかね? ひょっとしたら決勝までいくかもしれませんね!!


サンデー毎日の身分で時間はあり、佐倉市の市民大学に2度目の参加をすることにした。
1回目は、数年前に植物学入門?のような講座を受講した。
現在は、お亡くなりになってしまったが、昭和天皇に笹について講義をしたことのある、鈴木先生(名前は?)が講師であった。
この講義で、印象に残ったことが二つある。一つは、積雪量の等高線と笹の種類が完全に一致すると言うことを、日本全国を足で調査し、調べたことである。
また、皆さんは、「くまざさ」を漢字でどう書くとおもいですか?まさか「熊ざさ」と書いてはいませんよね!正しくは「隈ざさ」です。これは、葉の周囲が白く隈どることからの名前ですが、「隈ざさ」は、必ず隈どる訳ではないのです。沢の側に生えている「隈ざさ」は、隈どらないのだそうです。
そうです・・・水分が充分にあれば「隈ざさ」は、葉の周囲も枯れず隈どらないのだそうです。
 ところで、今回は情報処理コースを受講することとした。通常は、1年間 40名位のコースであるが、2年間の研究科コースで、研究生16名の精鋭?コースである。1回目の会合があり、まだまだ手探りであるが、2年後には、何か実のあるものが出来ればと思っています。ご期待ください。


山椒の佃煮の話を書いたが、今年は、山椒の実が500g(500ml 位)取れました。なんとちりめん山椒は、大好評で、ちりめんじゃこ:160g 3回も作ってしまいました。
ちなみにレシピを以下に記します。
山椒の佃煮:(煮詰める)
山椒:1カップ:180ml(6月1日頃摘み取り)、 湯につける、 醤油:3/4カップ、  酒:大さじ 1、 砂糖 : 大さじ 1/2

ちりめん山椒:(煮詰める)
ちりめんじゃこ:100g、 サラダ油:大さじ1、 水 :1カップ、 砂糖:2大さじ、 みりん:おおさじ3、 酒 : 1/3カップ、 醤油 : 大さじ3
山椒の佃煮:上で作った山椒佃煮を大さじ:3(好みにより増減)


朱鷺色に印旛の沼を染めし落日 彩(いろどり)変えて留まることなし
   たなびける雲の端々茜色 印旛の湖面と一つになりぬ
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アイコン 6月 10日(月曜日):情報の裏側にあるもの、「世論」について、風刺
  日本サッカーがロシアに勝ちました。すばらしいですね、感動しました!
是非予選を通過してほしいですね!がんばれ!日本!!


5月21日、神津カンナの講演を聴いた。
話の内容は、丁寧にものを見る、固定観念で物事を見ない。見ているものの、その後ろ側にある真実を見るようにする。
また 最近の人は、携帯など便利になったせいか、考える能力、伝える能力、言葉を吟味しなくなったというようなお話であったと思う。
例えば、テロで世界貿易センタービルが崩壊する映像は、繰り返し放映されたが、まるで映画のシーンをみるようであり、ああ大変なことだとその場では思いながら、実際は、その中で何千人かの人が死んでゆき、その家族や・友人、色々なビジネスや、思い出が一緒に崩壊しているのだと言うことを考える人が、どれだけいるのだろうか?と言うような話もあった。
 私も、以前より進歩することは、その進歩の分だけ、何かを失っているのではないかと思っている。 特に人間的な部分では、「進歩は退歩」、「便利は不便」ではないかと思っている。


よく新聞、テレビで「世論」という言葉が出てくる。しかし 上でも書いたように、今のような情報過多の時代で、中味が良く判らないまま、マスコミによって報道される回数の多いものが世論となり、結局は作られた「世論」がまかり通ってしまうのではないかと思ってしまう。
 であるならば、その情報の裏側を見定め、利益や権力にとらわれない真の情報がほしいと思いませんか?


会社勤めのおり、昼食のすし屋の親父が面白い事を書いていた。
長い書き物であったが、そのうち以下の表現が面白かったのでおぼえている。
口が濁れば、愚痴になり、 意思が濁れば意地になり、 徳がにごれば、毒になる。
とかくこの世は、住みにくい。
さしずめこの表現でいくと、マスコミ濁れば、マスゴミになるとなるのではないでしょうか。


見るものも伝わるものも多き世が 失いし心いかに多きか 
  様々な 人種(ひと)住める国旅をして 自己主張の必然を知る

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6月1日(土曜日):ユーカリ近隣の農家・行事、山椒の実の佃煮
 
いよいよワールドカップサッカーが始まりました。
フランスーセネガル戦を見てますと、本当にスピーデーですね。日本も予選を通過するのが大変だなーと思います。
それにしても、チケットが届かないなど日本から考えると FIFA のマネジメントはどうなっているのでしょうね!


私の住んでいるユーカリが丘は、山万というデベロッパーがおよそ25年近く、開発を続けている住宅地であり、住人も2万人位すんでいる。私もここに住んで、既に20年になる。
 しかし、住宅地を一歩出ると、そこは昔からの純農家の集落がある。(まるで「千と千尋の神隠し」のようです・・・と言ったらオーバーか)
ナナの散歩で、時にはデジカメを持ちながら、この集落の中を歩くのがお気に入りのコースである。 ここには、昔ながらの慣習も残っており、2月の節分の前に村の辻々に魔よけの為に稲ワラで作った蛇を、大きな木の叉や、株に飾る。(大きなものは、5m以上ある。) これを辻切りというのだそうです。
 また この散歩道には田んぼがあるが、4月の中ごろより、ひとりのお爺さんが(おそらく70歳位か?ものすごく広い田んぼの あぜ道の草刈から、田おこし、水はりの作業をして田植えの準備をしている。
昔からそうだと言ってしまえばそれまでだが、私は凄いものだと本当に思っている。
画像を見たい人は、こちら


畑の裏の林に、山椒の木がある。今年も直径が3-4mmの青い小さな房状の実を沢山つけている。この実は、秋になると赤くなり、割れてくちを開き、中に黒い実が見える。(雌雄異株)
 この山椒の若い実を6月初旬に摘み取り、醤油、酒、砂糖で煮ると佃煮が出来る。(小さな実なので佃煮にするほど摘み取るのが大変)
昨年初めて作ってみたが、実を噛むと口の中で舌先がしびれるような辛味と、独特の香りが何とも心地よく大変好評であった。 縮緬雑魚とみりん、サラダオイル、醤油、砂糖と煮ると、ちりめん山椒を作ることができる。大概は、残ってしまうものだが、これもまた好評であった。 これに味をしめ、今年も作るぞと張り切っているところです。


三百年微(ほほえみ)て来し木っ端仏虫食い痕は慈悲の黒子か
  鉈ぼりの木っ端にうかぶこの笑(えみ)を我の顔にも写したきかな

  
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アイコン 5月20日(月曜日):再び Bio/IT について、サラリーマン人生、瀋陽事件
  連休の新聞特別版を読んでいたら、冨士通の社長さんが、情報技術(IT)ブームが何故簡単に失速してしまった理由について、技術革新が早すぎて、ハードの進歩にソフトがついていけなかったと書いていた。
同じことは、バイオ(Bio)についても言えるのではないでしょうか。どんどん生命に関する秘密(技術)が解き明かされ様としている。
しかし、バイオのほうのソフトは、人の心が大きく関わっている問題ですから、事は簡単ではありません。
それでも技術(者)は、ソフトがついて来ようがこまいが、どんどん進歩し、また試してみたくなる誘惑には勝てず、何かと理由を考えて、遅かれ早かれ実行してしまうでしょう。
まして、この競争が国家・企業間のワールドワイドの問題でもあるのだから。
 バイオについては、ソフトがついていけなかったではすまないのではないでしょうか、逆にソフトが先行し、リードしなければいけないのですから。


同じ紙面に、「会社が人生だった時代」という言葉がでていた。決して悪い意味で書いてはいない。よく 何か一芸に秀でて「この道何十年」素晴らしいと言うが、私だって、サラリーマン人生三十年「この道一筋」なのだ・・・・!!
 もちろんその他大勢だからとは、わかっているが、一体、どこが違うのだろうかと思うことがある。
しかし、これからの時代は、この言葉もなくなってしまうのだろうか?


瀋陽の事件を見たり読んだりして、守るべきものがなにかの基本が解っていない。
今回は、ビデオの画像という動かしがたい事実があるのだから、領事館に足を踏み入れた警官の引渡しと事情聴取くらいを中国側に要求してもよいくらいである。
それが全く逆の立場になっている。基本は、領事館が治外法権の日本国なのだということをである。
話はかわるが、田中真紀子の秘書給与の問題にしても、金額の問題ではなく、国から支給される秘書給与は、直接秘書に渡されるべきものであることをである。そういう意味では、辻本さんと同罪である。
ところが一方は、議員を辞職し、一方はうるさいからこれで幕引きでは、誰も信用しなくなってしまう。

通勤を長く感じるこの頃は着きしホームで足ひきずりぬ
   駅からの対向車線に見る車 素顔の妻(おんな)見せて過ぎ行く
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5月10日(金曜日):ユーカリ近隣の「にせアカシア」、「ユリノキの花」
 
皆さん、ゴールデンウイークはいかがでしたか。サンデー毎日の身分では、ゴールデンウイークは関係なし。むしろ皆さんの休みの後に楽しもうと思っています。


いま 私の散歩コースでは、「にせアカシア」の白い房状の花がみごろである。
会社勤務で岩手県・盛岡市(工場は松尾村にあった)に3年間ほど住んでいたことがあるが、その時、北上川の岸辺に、この花が咲いていて「にせアカシア」という名前を教えてもらった。
藤の花に似た、白い清楚なはなであるが、木は大木となる。蜜蜂が、この花の蜜を集めにくると聞いていたが、散歩コースの「にせアカシア」も、花の下を歩いていると、羽音の「ざわめき」が聞こえ、蜜蜂が沢山きていることがわかる。
私は、岩手の自然が好きであったから、懐かしい思いでこの花をみている。


東葉高速鉄道「八千代中央駅」前に、約1,000m位の「ユリノキ」の並木道がある。 近くには「ゆりのき台」という団地もできている。
いま この「ユリノキ」に、咲き始めは淡いグリーンでその後花の基からオレンジになる10cm弱の花が咲いている。
大きな木の高い所に、地味な花を付けるため、多分気付かない人が多いのではないかと思うが、清楚で気品のある花である。( 画像は、植物・花ページ
 上野の国立博物館に大木の「ユリノキ」があるが、何かの展示を観に秋に訪れた時、大人のこぶしを大きくした様な綺麗に紅葉した落ち葉を拾い、本に挿んだ事を想い出している。


蜜蜂のザワメキの中 五月晴れ「にせアカシア」の白き花房

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アイコン 5月 1日(月曜日):犬の予防注射、狂牛病について
  犬の狂犬病予防注射と登録に行ってきた。今までは、あまり気にしていなかったが、注射と登録料6,300円の内訳は何なのだろうか?
注射と登録料で6,300円はかからないだろうから、残りは何に使われているのだろうか?
日本での狂犬病発生は、一体何時頃だったのだろうか?
今度 このお金の使途について、尋ねてみようと思う。
長い間既定の制度として運用され、結局この制度も誰かさんの利権のために使われているのではないだろうか?


狂牛病(BSE)の話題も下火になってきている。
しかし、この騒動で食品の表示問題に一石を投じたことは、良かったと思う。
この騒動がなかったら、今までどうり、偽産地の豚肉・鶏肉・お米などを偽って買わされていたかも知れないのだから。
また、国は全頭検査を実施することにした。
O-157の時もそうであったが、それまで売れていない商品が、突然脚光をあびるなんて、この検査薬を扱っているメーカーは、恐らく笑いが止まらないのではないだろうか。(これは、扱っていたことに敬意を表して書いています)


侘助の猪口の蜜を吸いにくる 訪れし目白今年もつがい
  落ちてなお枯野彩る藪つばき大地に咲きて命ふたたび
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4月25日(木曜日):季節の移ろい、三春 「滝桜 」
  今年は、季節の移り変わりが10日から半月速い。しかし、そのせいかどうか判らないが、早春に咲く色々な花が、例年より良く咲きまた長い間見られるたような気がする。
犬の散歩の折り、近くの農家のお爺さんが、今年はタケノコが豊作だと話してくれ、ついでにタケノコを掘ってくれた。
前々よりテレビの影響か、焼きタケノコが美味しいと聞いていたので、早速アルミホイルに包んで焼いて食べてみた。(味のほうは・・・本当は、稲ワラで焼くのが美味しいらしいが)


 ここの所、福島県・三春町の滝桜を(樹齢 1,000年の紅しだれ桜)、毎年のように観にいっている。今年は、お袋に見せたいと思い、4月9日ー10日と行ってきた。
Web で最高の時と、天気予報を見計らって行ったのであるが、天候はいまいちであったが、満開少し前の最高の滝桜を見ることができた。
さらに ラッキーなことには、会津・鶴が城の、これも満開の桜を楽しむことができ、喜多方のラーメンを食べることができた。
私は、有名な弘前の桜も見たことがあるが、鶴が城の桜は、ロケーションといい、桜の数といい、素晴らしいものであった。(画像を見たい人は、こちら


平安に芽生えし桜時を経て 枝垂れの花は愛でし人数
  何故此処に個性豊かな桜花 滝に地蔵に、不動桜とは

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アイコン 4月21日(日曜日):「安楽死」、Bio/IT 革命について
  川崎共同病院での「安楽死」事件が問題になっている。 しかしながら、自分も時々思うことがあるのだが、生理的に生きている あるいは生かされている状態であって、回復の見込みがないのなら、日本でも「安楽死」を認めてもよいのではないかと思う時がある。
 昔なら既に死んでいる人を、医学の進歩で生かしておくことは、本当に家族にとっても、本人にとっても良いことか考える事も必要ではないでしょうか? これは、ある意味では病院を儲けさせていることになるのではないでしょうか?何故ならば、これらの患者は、病院にとっては動けず、喋れず、高額の医療費がかかり、万一事故があっても病院としてリスクの少ない手の掛からない患者の様に、素人には思えるのです。
 皆さんは、いかがでしょうか?


近年 21世紀の産業革命として、バイオ(Bio)と情報技術(IT) の情報が溢れている。(私は、これを{ バイオイト (Bioit) } 革命と呼ぶ。
 前者は、遺伝子操作による難病の治療や、臓器再生、クローン技術など、これまで考えられなかった事を可能にしている。また 後者は、パソコン、インターネット/メール、携帯電話など、ますます世の中便利になったような錯覚をいだかせる。しかしながら 本当に便利になったのだろうか。実際は、進歩とか便利と言う甘い語感に惑わされ、束縛されて不便になっているのではないでしょうか。
 もう そろそろ企業の利益追求のための進歩や便利さから開放されたいと思いませんか。


大木の欅の若葉 いやいやと首振るがごとくメイストーム荒れる

  今回は、初めてと言うことで少し気負いすぎでしょうか。

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